生きていたら81歳になってました。
故人の誕生日って祝っちゃいけないのかな。
お墓も仏壇も福岡なんでここでひっそりとおめでとういうくらいしかできないんですけどね。
昨年の今日、母は膝の手術をしました。
翌八月、帰省から自宅に帰る飛行機待ちの時に珍しく母から電話がありました。
その日は私の誕生日。
『お見舞いありがとう、お母さんの誕生日に手術、あんたの誕生日に飛行機乗って帰る、なんだかお互いに忙しない誕生日やったねー。来年はお互いの誕生日、穏やかに過ごしたいねぇ』
と言っていました。
電話の声がいつもより元気がないというか静かというか、そんな声でした。
『そうやね、来年またくるけんね』
その電話が母が私と普通に話せる最後の会話でした。
時は薬とはよく言ったもので、母を思い出して涙することは減りました。
母がこの日に生まれたことに感謝します。