25日に父が亡くなりました。85歳でした。母が亡くなってから6年間、1人で過ごしていて、最後の一年は悪性リンパ腫で入院して一度も自宅に帰ることができませんでした。
兄が地元にいるのでずっと兄が父の入院の世話をしてくれて感謝しています。
最期の時もそばにいてくれたようです。
亡くなる前日、兄は父と会っていて、とても元気にしていたそうで、翌日まさか亡くなるとは思っていなかったそう。
私は、その日いつもは仕事中携帯しないスマホを、夫に仕事の愚痴をLINEしようとポケットに忍ばせていたところ、お昼に兄から電話がかかって、マナーモードにしていたけれどすぐに出られたのそのおかげでした。
兄曰く、朝看護師さんが父のところに行くと、起きていない、すぐに呼吸が止まっていることを確認して、処置をしているけど、脳などの中枢神経がもうダメだから、延命しても意識は戻らないだろう、、。
苦しまない方がいいと思う、とだけ兄には伝えて、その数分後に亡くなったと連絡がありました。
なので、棺の中の父の顔は、本当に眠ったようで、痩せこけてもなく、少し笑っているかのように安らかでした。
夜に寝たまま、そのまま亡くなったから、苦しんではないと思うと、兄は話してくれました。
火葬が終わって骨になった父を見て、不思議と涙は出てこなくて、逆に人生あがりっ!と思って、よく頑張ったね、いままでありがとうございました、の感謝の言葉しか出てきませんでした。
一年くらい入院していたから、心の準備はできていたようです。
葬儀の時、弟の子たちが、わー、きゃー、とても元気に走り回っていて、父が亡くなったけど、こうやって命は繋がっていくんだな、とその方に涙が出ました。(お坊さんの読経に、子たちがノリノリで真似した時は吹きそうでした)
先に逝った母が迎えにきてくれているといいな。
これで2人とも居なくなって、実家だけが残りました。区画整備で実家の一部が道路にかかるので、どちらにしろ四十九日が終わったら更地にすると思います。実家に帰省、というイベントは永遠に終了しました。寂しいです。
26日は関東は大雨でしたが、九州は晴れてました。
夜は食欲がなく、うどん、でもごぼう天にしました。
羽田空港。